私のすすめる本 9


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目次

序文 「読書と人間形成」・・・・・・・・・・・・・・・・・丹下 一郎

ジャポニスム イン ファッション / 深井晃子・・・・・・岩崎 雅美

暗黒への旅立ち / 萩野昌利・・・・・・・・・・・・・・・大嶋 浩

ガロアの夢 / 久賀道郎・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤 光

生活の貧しさと心の貧しさ / 大塚久雄・・・・・・・・・・佐藤 哲也

血液型と性格 / 大村政男・・・・・・・・・・・・・・・・塩見 邦雄

地球の破産 / 小西誠一・・・・・・・・・・・・・・・・・澁江 靖弘

もの食う人びと / 辺見庸 ほか・・・・・・・・・・・・・高階 時子

平成維新 / 大前研一 ほか・・・・・・・・・・・・・・・竹村 厚司

英語教育に関する概説書(2冊)・・・・・・・・・・・・・・田中 祐治

教育と人間 / 矢内原忠雄・・・・・・・・・・・・・・・・名須川知子

森の生活 / H.D.ソロー・・・・・・・・・・・・・・・成田 滋

明るいほうへ / 金子みすヾ ほか・・・・・・・・・・・・成田 滋

講座文明と環境 / 梅原猛ほか編・・・・・・・・・・・・・成瀬 敏郎

上海セピアモダン / 森田靖郎・・・・・・・・・・・・・・原田 智仁

国宝[映像資料]全20巻 ほか・・・・・・・・・・・・・・広地 聖史

ソフィーの世界 / ヨースタイン・ゴルデル・・・・・・・・藤縄 千艸

夏目漱石を江戸から読む / 小谷野敦・・・・・・・・・・・前田 貞昭

自然学習の思想 / L.H.ベイリー・・・・・・・・・・・松本 伸示

図説夜の中世史 / ジャン・ヴュルドン・・・・・・・・・・松本ミサヲ

発表の技法 / 諏訪邦夫・・・・・・・・・・・・・・・・・南埜 猛

ぼくはこんな本を読んできた / 立花隆・・・・・・・・・・南埜 猛

中世イタリアの大学生活 / グイド・ザッカニーニ・・・・・柳原 弘志

何もなくて豊かな島 / 崎山克彦・・・・・・・・・・・・・山岡俊比古

釣りとイギリス人 / 飯田操・・・・・・・・・・・・・・・山岡俊比古

秘儀としての和歌 / 渡部泰明編・・・・・・・・・・・・・山口 眞琴

黄禍物語 / 橋川文三・・・・・・・・・・・・・・・・・・山崎 弘行

想い出のエドワード・トマス / エリナー・ファージョン・・・・・・・横山 悦子

応用倫理学のすすめ / 加藤尚武・・・・・・・・・・・・・渡邉 正樹

ヘーゲル・大人のなりかた / 西研 ほか・・・・・・・・・渡邉 満

あとがき



                          読 書 と 人 間 形 成

                                                附属図書館長 丹下 一郎

 人口問題や持続可能な開発と並んで生物の多様性の保護ということが人類の未
来にとって重大な関心をよんでいる。それが生物の必然性というのみならず、人
類の生存そのものにも深い関わりがあるからであろう。生物の多様性には、基本
的には、遺伝子レベルの塩基配列の変化(突然変異)によるものと、個体として
発現した後に環境との相互作用により起こる表現型レベルの多様性があり、これ
らの差異が積み重なって種や亜種の多様性が生み出されると言われる。遺伝的多
様性はさらに核DNAに点在するミクロサテライトとよばれる部分が個体毎に異
なる組合せをもつことにより生じ、その差異は親子関係が判定できる程個性化し
ていることが確かめられるという。(橘川次郎:『なぜたくさんの生物がいるの
か?』,1995,岩波書店)
 この生物学的な多様性は、比喩的な意味で、われわれの意識的な人格活動のレ
ベルにも適用できると思う。われわれの身体や心の働きというものは、その根本
においては遺伝的に決定されているであろうし、またユングが集団的無意識とよ
んだ歴史的、社会的な深層文化の影響もうけているであろう。しかし一人一人の
個々の現実の生活では、われわれは絶えず意識的に、自覚的に自分の考え方や行
動に判断を加えていることも確かである。そしてその判断の多くは、直感を伴う
言語的概念に基づいている。つまり、われわれの内部で無意識に働く精神活動を
意識的にとらえながら、それをわれわれをとり巻く無際限に広く、深い層をもつ
言語的文化環境と相互作用させながら、われわれは自分の言葉を選び、その言葉
に託して自分の人格と生活をととのえ、充実させているのである。これは核DN
Aにおけるミクロサテライトの組合せのように個性的なものであろう。私はミク
ロサテライトの組合せに、例えば「適応」というような合目的性があるのか、そ
れとも単に統計的なランダム現象で合目的性などは認められぬのかは分からぬが、
われわれが自分の言葉を、少くとも自覚的に選ぶ場合には、やはり一人一人に理
想というものがあり、それに向かっての志向的な選択だと思う。故にそのような
志向的選択には個人的な自由と共に、決定的に社会的な起源と性格をもつ言葉の
選択である以上、それに伴うある種の制約、つまり責任があると思える。それな
しには読書による自己形成や自己充実は実効がないであろう。

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┌──────────────────────────────────┐
│ ジャポニスム イン ファッション : 海を渡ったキモノ             │
│   深井晃子著                         平凡社   1994 │
└──────────────────────────────────┘

                                岩崎 雅美 (生活・健康系教育講座)

 私たちが着ている洋服は、明治初期にヨーロッパから導入された衣服であるこ
とは誰もが薄々知っているであろう。しかし逆に、日本のきものがヨーロッパの
人々に影響を与えたことは案外知られていないと思われる。辞書をみるとキモノ
kimono は英語にもフランス語にもなっているし、キモノスリーブの意味は、身頃
と袖が続けて裁断され、きもののようにゆるやかな流れをもつ袖のことである。
このような言葉が外国語の中にあることは、歴史的に何らかの関係があったこと
を示している。
 きものは16・7世紀には小袖と呼ばれ、着る目的以外に南蛮人への贈物とし
て用いられた。それらは絹地に絞り染めや刺繍を施した華麗なもので、オランダ
人は本国へ小袖を持ち帰り、「ヤポンセ・ロッケン」と称する部屋着にして、男
女共が着用した。以後ヨーロッパの人々はキモノを化粧着、室内着として用いた
ので、kimonoは「部屋着」の意味にもなっている。
 19世紀になると万国博覧会を通して、フランスの画家たちがいち早く日本の
浮世絵に興味をもった。中でもホイッスラー、モネ、ドガ、ルノアールらはキモ
ノにも注目し、打掛け姿やキモノ地でつくったドレスを着た西洋女性を描きはじ
めた。キモノの文様も西洋の服地に使われたが、その後キモノののシルエットで
ある抜き衣紋(衿を後ろに抜く)、裾曳き、コルセットをしないウエストのライ
ンなどがドレスのデザインに取り入れられた。
 西洋人にとって日本のキモノに対する魅力は何であったのだろうか。西洋の文
様には左右対称というはっきりした軸があり、ドレスの形はルネッサンス以来ウ
エストを細くしたシルエットである。一方日本の服飾は全く逆で、自然を題材に
した文様は絵画的でアシンメトリーである。形もゆるやかで、人間の身体を神秘
的に包み込む。キモノのコンセプトが西洋の人々を魅了し、その後の衣服に多大
な影響を与えたことは、日本再発見につながる嬉しくおもしろい出来事である。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                                            (発注中)

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┌──────────────────────────────────┐
│ 暗黒への旅立ち : 西洋的近代自我とその図像1750〜1920     │
│     萩野昌利著                                                     │
│     (南山大学学術叢書)             名古屋大学出版会  1987 │
└──────────────────────────────────┘

                      大嶋 浩 (言語系教育講座)

 副題にあるように、西洋近代自我の問題をその図像との関連から考察した、意
欲的な研究書である。それぞれの時代はそれぞれにふさわしい、特有の図像を提
出する。著者によれば、近代は「牢獄」、「窓」、「仮面」等の様々な自己疎外
をテーマとした図像を開発した。その図像が時の経過につれてどのように変化し
てゆくか、著者はその具体的事例を文学と美術を中心に豊富に収集し、その変化
の内容を吟味していく。まさに学際的なアプローチによる労作である。
 研究書ではあるが、決して堅苦しいものではない。原書からの引用には必ず日
本語訳が付され、随所に挿入された図版は眺めるだけでも楽しい。このような研
究書を読む場合、常に著者と対話しながら読んでいくという姿勢が大切である。
つまり、引用文や図版に対する著者の分析・解釈を鵜呑みにするのではなく、読
者が主体的に著者の見解を検討・批判しながら読むということである。このこと
は必然的にゆっくりと読むことを要求する。ほぼ500頁のこの書物を最初から
読んでいくよりも、むしろ目次を開いて興味深い箇所から随時ゆっくりと読んで
いき、一通り読み終わったら、今度は最初から最後まで一気に通読してみるのも
一つの手であろう。
 この書物は西洋近代自我を俎上に載せるそのパースペクティブの広さゆえに、
読者の興味や関心に応じて、読者がそれぞれに考えていく上での様々なヒントに
満ちた本である。文学や美術に関心のある人ばかりでなく、広く人間存在そのも
のに関心を持っている人たちに、一般的教養書としても推薦したい本の一つであ
る。
                    (「私のすすめる本」4号から再掲載)

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                                             930.2 Og    2階開架書庫

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┌──────────────────────────────────┐
│ ガロアの夢 : 群論と微分方程式                                  │
│     久賀道郎著                      日本評論社  1968 │
└──────────────────────────────────┘

                                 佐藤 光 (自然系教育講座)

 みなさんはガロアという数学の天才をご存知だろうか。岩波数学辞典によると、
彼は1811年にパリ郊外のブール・ラ・レーヌというところに生まれ、17才
にして循環連分数についての論文を発表した。またこのときフランス科学院に方
程式論の論文を提出したが、審査官がそれを紛失してしまったために発表されな
かったという。そしてフランスを代表する理工科大学であるエコール・ポリテク
ニークの入学試験に失敗して(天才でもこのようなことがあるから人生は面白い!)
やむなくエコール・ノルマル(高等師範学校)に入学したのが1829年、18
才のときであった。
 彼の生きた時代は1814年にナポレオン帝国が崩壊し、ブルボン王朝が復活
したいわゆるウィーン体制と呼ばれる時期で、ときのチャールズ10世は反動的
な政策を強行して、社会各層の対立が激化し、世の中が騒然としていた時代であ
った。1830年には七月革命が起きている。彼は政治運動に参加し、退学処分
となり捕えられて入獄、仮出所中に決闘に倒れた。1832年、21才の生涯で
あった。決闘の前夜、友人のシュバリエに残した研究の概略と遺稿を数学者リュ
ウヴィユが整理して数学の学術雑誌に載せたのである。それはのちにガロア理論
と呼ばれる近代代数学への道を開いた画期的な業績であった。
 前置きが長くなったが、この本はその題名から想像されるようなガロアの短い
が波乱の生涯の伝記ではない。れっきとした数学の本であるが、専門書ではない。
楽しみながら数学の(一分野の)奥深い内容をわかった気にさせてくれる本であ
る。ここでその内容を書くと話が堅くなるので止めにしよう。・・・
 とにかく坐り心地のよい椅子に紙と鉛筆を用意して、手にとってみてご覧なさ
い。みなさんの持っている数学のイメージとは違う数学の世界が広がっているの
は間違いないでしょう。予備知識はほとんどいりません。
                  (「私のすすめる本」4号から再掲載)

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                                             411.73 Ku   2階開架書架

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┌──────────────────────────────────┐
│ 生活の貧しさと心の貧しさ                                           │
│   大塚久雄                     みすず書房  1978 │
└──────────────────────────────────┘

                      佐藤 哲也 (幼児教育講座)

 不安と混迷の時代にあって、私たちは、広い視野と深い自己洞察を持って“何
が真実であるのか”“自分とは如何なる存在なのか”しっかりと見極めていかな
ければなりません。また、自らの責任ある選択に基づいて、思想と生活を切り結
んでいく必要があります。大塚久雄氏の思索の軌跡は、私たちが自らの内面と真
剣に対峙して、謙虚な姿勢で真理を探求していこうとするとき、多くの示唆を与
えてくれるものです。
 大塚氏は、法政大学、東京大学、国際基督教大学などで教鞭を執った日本を代
表する社会科学者です。氏の関心は、「近代化」と総称される封建社会から資本
主義社会への社会変動を歴史的に解明し、その推進力となったエートス(倫理的
人間類型)を抽出することにありました。その学風は“大塚史学”と呼ばれ、戦
後の経済史研究に大きな軌跡を残しました。またその一方で、キリスト者として
の誠実な人柄は、多くの学生、大学人、知識人に影響を与えてきました。
 本書は、1961年から76年にかけての氏の講演・対談・小論を集めたもの
です。当時の日本は高度経済成長の結果、“生活の貧しさ”が克服されていきま
した。ところが、そうした繁栄とは裏腹に、学園紛争、公害問題、ロッキード事
件など、様々な社会問題が噴出し、あたかも“心の貧しさ”があらゆる局面に蔓
延っているかのようでした。大塚氏は、社会科学者として、そして一信仰者とし
て、こうした矛盾を描き出し、その解決の糸口を模索していきます。そこには
「真理への畏敬」と「事実を事実として認める主体的態度」という、氏の真摯な
姿勢が貫かれており、学問を通じて豊かな精神性を涵養していく可能性が示され
ています。
 本書は、学部生・院生を問わず、各人が「学ぶこと」「研究すること」の意味
と方法を問い求めるとき、某かのヒントを与えてくれる絶好の学問論入門書とな
ることでしょう。
 尚、大塚氏の学問論として次のようなものがあります。

  『社会科学と信仰と』  (みすず書房)
  『近代化の人間学的基礎』(筑摩書房)
  『社会科学の方法』   (岩波新書)
  『社会科学における人間』(岩波新書)

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
生活の貧しさと心の貧しさ                     304 Ot      2階開架書架
社会科学と信仰と                             304 Ot      2階開架書架
近代化の人間学的基礎                         330 Ot      2階開架書架
社会科学の方法                               301.6 Ot    文庫・新書コーナー
社会科学における人間                         301.6 Ot    文庫・新書コーナー

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┌──────────────────────────────────┐
│ 血液型と性格                                                       │
│     大村政男著                        福村出版  1990 │
└──────────────────────────────────┘
                                                                        
                                 塩見 邦雄 (教育基礎講座)

 「血液型」と性格との関連についてがよくとりざたされており、血液型が性格
を判定できるものと思っている人も多い。「O型のものは、自信が強い。意志が
強固である。A型のものは従順でおとなしい。B型のものは、楽天的、など」は
たして、このとおり、血液型は性格を反映しているのであろうか。
 ところで、これらふたつの間の関係について言及されだしたのはそんなに古い
ことではなく、明治時代以降のことである。そして、ABO式の血液型四種と人
間の性格とを対応させた草分けの人びとは、日本人で、その代表者は古川竹二で
ある。もともと、体液心理学は西欧の学問であり、古代ギリシャ以降の研究地盤
がある。しかし、血液型と性格との関連については、西欧ではおこっていない。
だから、血液型の研究については、日本人がパイオニアなのである。
 本書は、この血液型性格学はあてにならず、「偽科学」であることを、血液型
性格学で使われたデ−タなどを細かく検討して、説明する。その説明の理由とし
て、たとえば、O型のものは「向上心が強く耐乏生活にもつよい」とされている
が、このことはO型のものの特徴ではなく、ほかの血液型のものにもみられるこ
と。したがって、いわば性格についての判定がどの型にもあてはまるフリ−・サ
イズ効果があるようになっていること。そして、そういうアイテムをいくつか束
ねて、これはO型の特徴、これはB型の特徴といったようにラベリングをはると、
表面的にまとまってしまうこと。そして、これらのことがらをしめして、「あた
つている?」と聞かれると、「そうかな。あたっているな」と思ってしまう、い
わば、インプリンティングの効果がはたらくこと、などがあげられる、としてい
る。だから、血液型性格学は、いわゆる科学ではないこと、被暗示性の強いもの
とか、権威に弱いものが信じ込みやすい、とのべている。
 そもそも、性格心理学史のなかで、血液型の研究はおよそ正統なものではない
こと、しかも、それは多くの他のまじめな研究を阻むものであること、などが本
書では力強くしめされている。
 また、本書は、性格研究史についてもかかれており、いったいどういった研究
がこれまでなされてきたかについてもしめされている。したがって、性格研究を
ひもとくのに格好の書にもなっている。
                 (「私のすすめる本」4号から再掲載)

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                                             141.93 Om   1階開架書架

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┌──────────────────────────────────┐
│ 地球の破産 : 人口・環境・資源をめぐる21世紀のシナリオ       │
│    小西誠一著                                                     │
│   (ブルーバックス B1048)             講談社  1994 │
└──────────────────────────────────┘

                                   澁江 靖弘 (自然系教育講座)

 本書は21世紀において人類が、人口・食糧・エネルギー・環境・資源の諸問
題で深刻な危機に直面することを訴えている。ローマ・クラブが72年に出した
「人類の危機」レポート(「成長の限界」として邦訳されている)と類似する警
告書である。
 著者は以下に示す統計や推計から人類が2010年から2025年に危機状態
に陥ると警告を発している。1994年4月の時点で、世界の人口は56億を越
え、90年代に入って年間約9千万人ずつ増加している。人口増加率が最も高い
地域はアフリカであり、年平均人口増加率は85年から90年の期間で2.95
%に達する。90年代に入っても増加率に大きな変化が見られていない。また、
人口増加数ではアジアが高く、85年から90年までの5年間で5億5千万人に
達している。国連人口部の推計によると、2025年の世界人口は84億7千万
人になるという。
 さて、先進諸国では食糧の生産調整が行われているが、これとは裏腹に開発途
上国の生産は人口増加に追いついていない。このために栄養不足人口が増加し続
けている(90年で7億8千万人)。耕作面積の拡大や生産性の向上によって穀
物を増産しても2025年には人口の増加をまかないきれなくなると推定してい
る。エネルギーについても、石油や天然ガスの生産が2010年あるいは202
0年には頂点に達し、人類は石炭の増産に頼ることになると書いている。石炭の
増産が行われれば、著しく高くなる大気中のCO2濃度によって深刻な環境問題
が生じるであろう。また、原子力への依存度を急速に高めることも不可能である。
豊富な資料を駆使して21世紀の人口・食糧・エネルギー・資源・環境問題を以
上のように予測している本書は、これらの問題を考える上での一助になろう。
 予測はあくまでも予測であり,筆者は本書の予測通りにはならないと信じる。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                             519 Ko    文庫・新書コーナー

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┌─────────────────────────────────┐  
│ もの食う人びと                                                   │  
│     辺見庸著               共同通信社  1994 │  
│ ゴミにまみれて : 清掃作業員青春苦悩篇                 │  
│     坂本信一著                            径書房        1995 │  
└─────────────────────────────────┘  

                        高階 時子 (図書課)

 『もの食う人びと』は、世界のさまざまな地域の人々と食事を共にしたルポル
タージュである。食べるという行為から何が見えてくるのか、著者は憑かれたよ
うに各地を歩き回り、そこに暮らす人々といっしょにあらゆる食物を食べてみる。
ダッカの残飯、バンコクの猫用缶詰、ジュゴンの歯の粉末、ドイツの囚人食、旧
ユーゴ難民向け援助食料、コソボ修道院の精進料理、ソマリアPKO各国軍部隊
の携帯食、チェルノブイリの放射能汚染食品、択捉島の留置場のカーシャ・・・
飢餓・エイズ死の多い村や内戦の地で、無力感に苛まれながらも、著者の眼は鋭
く、慈愛に充ちている。「残飯を食らう者。大量に輸入しては食い残す者。食の
神様がいたら、まちがいなく前者に涙し、後者には飢渇のなんであるかをいつか
思い知らせるのではないか。」と著者は記すこともあるが、暖衣飽食の日本に暮
らす私たちを決して告発しようとしているわけではない。残飯を商う人と残飯に
食らいつく人々を、栄養失調と病気で枯れ枝のようになった少年少女を、放射能
で汚染された食物を食べてその日の命を紡ぐ老人たちを、淡々とかつ、いきいき
と描写するだけだ。訪れた地の人々との会話を、時には軽妙な筆致で記しながら
あくまでもルポルタージュという姿勢を崩さない。この姿勢が、生きるために欠
かすことのできない食をめぐる世界の動態を、より鮮烈に表している。私たちが
飽食の日常からほんのひととき飛翔し、乏しい想像力でもってしても、地球のど
こかで今、確かにこのような地域が在り、人々が食べ、生きようとしていること
を思い知らせる強い力がここにはある。
 この本を読んでいる私の毎日はと言えば、お弁当も含めて家族五人分の食事作
りに、仕事以外のエネルギーの大部分を費やしている。近くのマーケットには常
に食料品が溢れかえっていることに何の疑いも持たずに、買い込んでは料理する。
残飯はできるだけ出さないようにしているが、野菜屑や生活用品の廃棄物などゴ
ミが多く出る。それらを青いゴミ袋に詰めて、当然のようにゴミステーションに
出しに行く。目の前からゴミがなくなるとすっきりした気分になる。その後、ゴ
ミがどのように集められ処理されているのか、知ろうともせずに。
 今や、わたしたちは、お腹がすいてすいてしかたがないという状態を経ずに、
食物を次々に食い散らしているようだ。そして、快適さを求めるあまり、使い捨
てがあたりまえになっている。加速度的に便利になっていく中で、食べて生活し
ていくことは、ゴミを増やし続けることなんだとあらためて思う。
 『ゴミにまみれて』は、27歳の時に清掃作業員として、ゴミを収集する仕事
についた著者が、作業現場の状況を赤裸々に綴ったものだ。清掃車に乗ってゴミ
を集めるという仕事に対する外からの偏見・差別と、自分自身の中にもある差別
意識に苦しみながら、増え続けるゴミ処理問題に立ち向かっていく。未開封の食
料品、まだ充分使える衣料や家電品が大量に捨てられ、割れたビンや尖ったもの
が入った袋をつかんで、切り傷、打ち身は日常茶飯事のこと。著者は暗澹とした
思いでこう記す。「捨ててしまえばもう自分とは関係がないと思い、それがどう
なるのか考えもしない。私達清掃作業員など、まるで存在しないかのようです。
・・・毎日ゴミ現場で働いている私は、誰が何と言おうと、この国が浪費大国だ
と間違いなく断言できます」
  あわただしい日常の中で、食べること、ゴミを出すこと−−当然のようにして
いる行為−−をもう一度とらえ直したい。そして、せめて丁寧にゴミを出さなけ
ればと思う。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
もの食う人びと                              (発注中)
ゴミにまみれて                              (発注中)

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┌─────────────────────────────────┐  
│ 平成維新                                                       │  
│    大前研一著                              講談社   1989 │  
│ 「新都」建設                                         │  
│     堺屋太一著                             文芸春秋  1990 │  
└─────────────────────────────────┘  

                                       竹村 厚司  (自然系教育講座)

  私は本を読むのが大好きで、面白そうな本はすぐに買ってしまうため、いつも
家のなかが本だらけになって(財布は空になって)嫁ハンにアイソをつかされて
います。私のような人間は読書をしない人というのが理解できないため、他人に
読書を勧めるなどということはとてもできないのですが、学生の皆さんには一つ
だけ聞いてもらいたいことがあります。本学では多くの人が教師を志望している
と思いますが、先生になると子供に読書を勧めなければなりません。しかしもし
子供が先生の家に遊びに来たとき、先生の家に本があまりに少なかったら、やは
りカッコ悪いのではないでしょうか。
 さて、わたしの薦める本についてですが、私は過激な話がとても好きです。日
本のマスコミは本質的な話が少なく使用末節の話が多いため、本質的な話はかな
り過激に聞こえます。最近、地価を含めた都市問題や、貿易摩擦、教育など多く
の問題が提起されていますが、本質的な議論はあまりに少ないのではないでしょ
うか。
 ここで挙げた2人の著者は、いずれもこれらの問題を現在の日本の国家の体制
の問題であるととらえています。確かに、日本人は世界で一番勤勉であるにも関
わらず、他の先進諸国に比べると生活レベルはかなり低く、物価も高く、生活も
不便であることを考えると、やはり国の体制が悪いと思います。特にこの2人の
著者が問題とするのは中央官庁の組織、行政のやり方についてなのですが、私も
全くこれには同意見です。大前氏は「平成維新」でこれからの日本の政治機構の
一つのあり方を示し、堺屋氏は、新しい政治都市を建設することによって、政治
・行政機構の見直しを図ろうとしています。
 ところで、この2人の著者は日本の教育体制についてはどう考えているでしょ
うか。
「・現状の文部省は、文部省自体の勢力拡大及び教師たちの利益を守る組織とし
て機能している。・このように文部省と日教組は実は同じ、目的関数を持ってい
る。・今一度、文部省は本来なんのために存在しているのか考え直し、本当にサ
ービスを提供しなければならない子供たち、および社会のニーズに応える工夫を
する必要があることを自覚すべきである。」(平成維新)
「全国の地域格差をなくすることを目的とした「有機型地域構造」の下では、地
方公務員が創造力や独自性を発揮することは「罪悪」に近い。かつては地方の教
育界には、個性的な発想と情熱をもった教師も多かったが、「国民学校」の思想
を踏襲する戦後の均質教育の下では、それも許されない。小中学校や高校の教師
に求められているのは、官僚の定めた指導要領にしたがって、生徒を個性のない
規格型の人間に育てることだけである。」(新都建設)
  私はこんな過激な(本質的な?)話が大好きです。  
                  (「私のすすめる本」4号から再掲載)

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
平成維新                                  312.1 Om    2階開架書架
「新都」建設                                 318.7 Sa    2階開架書架

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┌─────────────────────────────────┐  
│ 英語教育に関する概説書(2冊)                                   │  
└─────────────────────────────────┘  

                                         田中 祐治 (言語系教育講座)

 英語教育に関する概説書の中から、以下の2冊を紹介します。まず、このよう
な概説書で英語教育の全体像を把握し、その後、興味がある分野を詳しく学ぶよ
うにするとよいでしょう。

  1. 書名  :『新・英語科教育の研究(改訂版)』
    著者名:片山嘉雄・遠藤栄一・佐々木昭・松村幹男編
    出版社:大修館書店          出版年:1994年

   2. 書名  :『英語教育学』(教職科学講座 第18巻)
       著者名:松村幹男編
       出版社:福村出版            出版年:1990年

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
新・英語科教育の研究(改訂版)              375.893 Sh  2階開架書架
英語教育学                                  375.893 El  2階開架書架

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┌─────────────────────────────────┐  
│ 教育と人間 : 民主主義と平和のために                          │  
│     矢内原忠雄著             東京大学出版会  1962 │  
└─────────────────────────────────┘  

                    名須川 知子 (幼児教育講座)

 人間誰しも自分が何のために生きているのか、或いは何故今この立場いるのか、
考えないことはないと思う。ましてや、「教育」に携わり関わっていこうとする
者にとって、「何のため」「どのような目的で」教育を行なっていこうとするの
か、常に考え深めていくことは大切なことである。
 本書は、昭和36年に出版されたものであり、現在は絶版で重版の予定もたっ
ていない。従って、本屋では手に入らなかったが、本大学の図書館には収められ
ている。
 読み進めていくうちに、この本が書かれた年代を超えて訴えてくる問題の鮮明
さに驚いた。内容は、政治学者である著者がきわめて具体的な当時の教育的問題
について述べているのであるが、ひとつとして「昔のこと」として読みとばすこ
とができないのである。つまり、何ひとつその問題は現在に至っても解決されて
おらず、そればかりか、むしろより深刻な問題として現在に引き継がれているの
である。或いは、その当時憂慮すべき問題として提起されているものが、30年
後の今も明らかに大きな問題として残されている事に気がつく。
 著者は、一貫して教育の目的は、「人格の尊重」にあると強調している。そし
て、その人格とは、元々人間に与えられたものであり、国家は人格を守る立場に
あるとしている。さらに、その方針を貫くためには、国民に民主主義の精神を育
て養うことが大切であると述べている。そのために「教育」の存在する意味があ
り、「教育」の自主独立性が必要であるとしている。
 さらに、教育について考えることは、その前提に「人間は何のために生きてい
けばよいのか」という、人生観の確立に依るものであろう。この本は、その問題
について明確に真正面から答え、考えるヒントを与えてくれる良書である。
                                  (「私のすすめる本」4号から再掲載)

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                                             371 Ya      2階開架図書

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┌─────────────────────────────────┐  
│ 森の生活                                                      │  
│     H.D.ソロー                                    │  
│     (岩波文庫)              岩波書店  1995 │  
└─────────────────────────────────┘  

                                    成田 滋  (学校教育研究センター)

 この作品は、ソローが1800年代の半ばにアメリカ合衆国東部の自然と人生
について記した自叙伝的な回想記です。一地方の自然とともに生きた忠実な生活
記録でもあります。作品の舞台となったところは、マサチューセッツ州のコンコ
ードというところです。ここは1770年代に独立を宣言した13州が英国の軍
隊を破った独立戦争の記念すべきところです。ソローはハーバード大学をでてか
ら、彼はみずからウオーデンという小さな湖のほとりに小屋を建て、四季の移り
変わりを通して森や湖に聞こえるさまざまな物音に耳を傾け、自然の営みの中で
思索を始めます。しかし、その著作活動の内容は世捨て人のような超越した生活
態度ではありません。むしろ、自然保護運動への傾倒や奴隷制度や人種差別への
反対表明、人はなにをなすべきかという根元的な回顧が語られます。またメキシ
コとの戦争に反対して納税を拒否し投獄されるという過激な運動もします。こう
したひたむきさは、ウオーデン湖とその自然の質素で充実した生活と思索の中か
ら生まれたようです。質素な生活こそが最も贅沢な生き方であるとも宣言します。
人が物質文明の中に翻弄され、世俗の経済活動にあくせくし、疲労しそして死ん
でいく姿を自然の移り変わりと対照して嘆きます。人はこうした生活を本当に望
んでいるはずがないのに、なぜそうなるのかという問いを自然に対する人間の関
わりから解答を求めようとします。ソローの姿勢は一貫して、「自然の法則を探
求し、自然の摂理に従って晴れやかに自由に生きることに人間の生き方が示され
る」と回顧します。そして、人間の徳性、言語、芸術、学問、科学の進歩の原動
力は自然にあるとしてその偉大さと神秘性を詩的な文体で語ります。
 この本はアメリカ東部の片田舎の話で終わりません。むしろ地球的な規模で訴
える思想を持っています。環境問題や人種問題をすでに洞察しその解決の方向を
示唆しているという点で、むしろ時代を超越した普遍的な思想を私たちに提起し
ています。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
同書 岩波文庫新版 1995               (発注中)
同書 岩波文庫旧版 1982                933 Th    文庫・新書コーナー
同書 JICC出版局版 1981        930.29 Th8  2階開架書架

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┌─────────────────────────────────┐  
│「明るいほうへ」「わたしと小鳥とすヾと」                       │  
│  金子みすヾ                JULA出版  1995 │  
└─────────────────────────────────┘  

                                    成田 滋  (学校教育研究センター)

 金子みすヾは大正の末から昭和にかけて童話を書き、26才の若さでこの世を
去った詩人です。子どもような直感と澄んだまなざしで自然の営みを描写し、そ
の中に生きる人々の無礼さや無関心に警鐘を鳴らします。大地の懐こそが生きも
のの恵みであることを詩を通して訴えます。たとえば次のような詩があります。

        ひるまは牛がそこにいて、
        青草をたべていたところ。

        夜ふけて、
        月の光があるいてる。

        月のひかりのさわるとき、
        草はすっすとまたのびる。
        あしたもごちそうしてやろと。

        ひるま子どもがそこにいて、
        お花をつんでいたところ。

        夜ふけて、
        天使がひとりあるいてる。

        天使の足のふむところ、
        かわりの花がまたひらく、
        あしたも子どもにみせようと。

 ここには青草と牛と月と子どもの世界があります。青草は月の光に照らされて
嬉しくなるというのです。そしてのびて牛に食べさせてやろうというのです。牛
が青草をはみ、子どもは花の下で遊びます。花は子どものとびはねるさまを嬉し
く思いながら踏まれ続けます。自然は生きとし生けるものを育てるものであるこ
とを子どもの青草と花と戯れる姿に描きます。どれを欠いてもこの情景は成り立
たず、詩情が伝わりません。彼女の詩をよむと子どもの頃が想い出され心が浄化
されるような気持ちになります。それは小さな頃、田舎で育った私の遊びの時で
す。食べ物が少なかったので野草をかんでかすかな甘みと酸味をとったことが思
いだされます。彼女の詩を読んでいるうちに、次ぎから次ぎへと子どもの体験が
沸いてくるから不思議です。なにか訴えるものがあるのです。それは私が既に失
いかけているなにかへの畏敬とか驚きとか痛みといったものでしょう。この詩集
から、子どもの世界にある多彩で豊穣な感覚を呼び起こしてくれるような気がし
ました。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
明るいほうへ                              (発注中)
わたしと小鳥とすヾと                        (発注中)

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┌──────────────────────────────────┐
│ 講座 文明と環境                                                   │
│   梅原 猛・伊東俊太郎・安田喜憲編                      朝倉書店   │
└──────────────────────────────────┘

                                   成瀬 敏郎 (社会系教育講座)

 この講座は、全15巻からなるもので、文部省重点領域研究「地球環境の変動
と文明の盛衰」(研究代表者 伊東俊太郎)の研究成果をまとめたものである。
 この研究では、自然科学、人文科学、社会科学に携わる研究者が22班にわか
れ、数年間にわたって、それぞれ「文明と環境」という人類の生存にかかわる研
究テーマについて取り組んできた。まだ全巻出版されたわけではないが、順に出
版される予定である。
 講座本は第1巻:地球と文明の周期、第2巻:地球と文明の画期、第3巻:農
耕と文明、第4巻:都市と文明、第5巻:文明の危機、第6巻:歴史と気候、第
7巻:人口・疫病・災害、第8巻:動物と文明、第9巻:森と文明、第10巻:
海と文明、第11巻:環境危機と現代文明、第12巻:文化遺産の保存と環境、
第13巻:宗教と文明、第14巻:環境倫理と環境教育、第15巻:新たな文明
の創造、の15巻からなる。
 本シリーズのコンセプトは、19世紀から始まった近代科学の発展が20世紀
の終末になって限界性を露呈するようになった。限界の表出は、例えば地球環境
問題であり、人類はこの難局を乗り切るために「自然と人間の共存」を主要テー
マにすべきだというものである。
 確かに本シリーズが指摘するように、研究に多少でも取り組んできた者にとっ
て反省すべきことの一つは、あまりにも細分化された学問の専門性にとらわれ、
広く全体を見渡さなかったことにあるし、あるいは既存の研究成果にとらわれ、
この域から脱し切れなかったことにもあろう。そして研究者は物事を常に客観的
に把握できるという自信過剰と誤解があったようにも思える。
 本シリーズの目的は自然科学、人文科学、社会科学の研究者が「文明と環境」
について同じテーブルを囲んで議論をし、「新たな文明のパラダイム」を提示す
ることにあると標榜している。本シリーズについての評価は、後に続く若い研究
者に委ねられるであろうが、本シリーズが意図したものは、あくまで新しい学問
体系の創造であり、学問に対する新たな姿勢創出への期待にある。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌──────────────────────────────────┐
│ 上海セピアモダン : メガロポリスの原画                           │
│     森田靖郎著               朝日新聞社  1990 │
└──────────────────────────────────┘

                       原田 智仁 (社会系教育講座)

 上海は現在世界有数の大都市であり、中国の経済発展を象徴する都市である。
私は十数年前に初めて上海を訪れたが、街は喧騒に満ちていた。かつて上海は魔
都と称された。本書はその1920〜30年代を中心に、「セピアの色をしてい
て、なおかつモダンな都市」上海の素顔を、多数の写真とともに描きだしている。
 上海は大きく四つに分割できる。外灘(バンド)・南京路のある英米共同租界
地、アカシア並木のさんずい淮海路のある洒落たフランス租界地、豫園商場のあ
る中国人街、そしてかつて日本人街であった虹口(ホンキュ)地区である。私の
泊まったホテルはバンドの黄浦公園近くの和平飯店であった。天井が高く、階段
も客室もどっしりしていて、流石にイギリス人の租界地らしいと感心したもので
あるが、それが30年代の上海経済界に君臨したサッスーン財閥の拠点、キャセ
イホテルであったことは本書を読むまで知らなかった。また上海随一の繁華街南
京路も、バンドと競馬場を結ぶパークレーンとして発達し、その客をあてこんだ
銀楼(貴金属を扱う店)が登場するとともに高層化が進み、イルミネーションで
飾られたその街路はブロードウェイに比してグレートホワイトウェイと称された
ということも、聞いてみればなるほどと思うのである。
 上海大廈を左手に見ながらガーデン・ブリッジを渡りしばらくすると、急に家
並みは低くなりところどころにみすぼらしい家々が現われる。ディック・ミネの
「夜霧のブルース」(知るわけないよね?)に歌われた虹口地区である。これが
同じ上海なのかというほどの違いである。勿論、その想いは中国人街に入ると一
層強くなり、上海の街並みの中にも第二次大戦の縮図が表れているように感じた
ものである。本書には上海における作家やジャーナリストの活動が詳しく描かれ
ているが、中でも内山書店の内山完造と魯迅の交友は、この時代の日中関係を考
えるとき、ほんのわずかだが胸をスッとさせてくれる。上海の中国人は、外国人
によって自らの土地を奪われ、次第にアンダーワールドに入り込んでいく。本書
はその象徴的存在であった一大娯楽センター「大世界」とその顔役たちの実相に
も迫っている。とくに紅幇、青幇といった秘密結社と蒋介石配下の謀略組織の暗
躍は、やがて中国の民心が国民党から離反していくさまを暗示している。このよ
うに、本書は都市論としてだけでなく、歴史書としても価値ある書といえる。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌──────────────────────────────────┐
│ 国宝 [映像資料] 全20巻                                      │
│    NHKエデュケーショナル制作       学研      1993 │
│ 映像でつづるおくほそ道 [映像資料] 全14巻                  │
│    制作:創朋、日本ビクター             日本ビクター    1990 │
└──────────────────────────────────┘

                           広地 聖史 (大学院生)

 学校で古典を教えていても、紙の上の知識に偏ってしまいがちになる。一方自
分の目で各地の寺院や絵巻をみてまわりたいと思っても体は一つ、経済的にも限
りがある。そんな二つの思いの「折衷」案をこのビデオに求めたい。自分の場合
グループ研究室にこもってワープロを打ちながらだったが、「豊か」な時間を見
つけることができた。実を言えばあまり大きな声では紹介したくないのが本音で
ある。というのも、著作権法のため館外貸し出しができないので、見る人が多く
なりすぎると自分のスペースがなくなってしまうからである。

  本館の所蔵   ───────────────── 分類記号   配架場所 
 国宝[映像資料]全20巻                          709.1  Ko  特殊資料室
 映像でつづるおくほそ道[映像資料]全14巻        911.32 Ma   特殊資料室

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┌──────────────────────────────────┐
│ ソフィーの世界 : 哲学者からの不思議な手紙                       │
│     ヨースタイン・ゴルデル著 須田朗監修 池田香代子訳             │
│                                       日本放送出版協会  1995 │
└──────────────────────────────────┘

                     藤縄 千艸 (芸術系教育講座)

 本書の原書はノルウェイ語で、「哲学の歴史の物語」という副題がついている。
1991年にオスローで出版され、ドイツ語、英語、韓国語、日本語などに訳さ
れて、世界的なべストセラーになっている。日本でも中学生や高校生の間で、か
なり広く読まれているという。大学の哲学史の講義は全然面白くなかったけれど
も、この600頁余りの本は楽に読めたというような評判も耳にした。一体そん
なことはあり得るのだろうか?本屋では目立つ場所に山と積まれているので、年
頭に一冊買い求めて読んでみた。1995年12月25日発行の第50刷である。
 主人公のソフィーは、ノルウェイの小さな町の新興住宅地に住む14才の少女。
この町の旧市街には中世以来の教会や古い町並みが残るが、近くには森や池も残
っており、ソフィーの家にも広い庭がある。父親は船員であるため、原則として
留守、母親も勤めに出ているため昼間は留守。ソフィーには孤独で自由な時間が
多い。そろそろ自分という存在は何であるのか、という哲学的な問題に目覚める
年頃である。そこへ差出人不明の手紙が届き、ソフィーの関心を古代以来の哲学
の歴史へと引き付けて、通信教育を始めるのである。やがてソフィーは、この哲
学者の家を訪れて個人教育を受けることになる。
 一面では、このうえなく平凡なソフィーの日常生活が描かれているが、この個
人教育には不可解な、夢か現実か分からないような事件がつきまとう。これが幻
想小説のような面白さを生み出しているのであるが、教授される哲学史そのもの
は、まことに正統的なものであって、伝統的な評価を逆転させるというようなこ
とは全くみられない。立場の全く異なる哲学者たちの説について、いずれにも、
それなりの根拠があることを丁寧に説明している。哲学説は理性的に語られるが、
ソフィーは14才の少女らしく、理屈ばかりでなく、むしろ感情の立場から感想
を語り、また質問する。それに対して可能な限り、説明がなされている。
 もちろん、本書に語られていることは、哲学史の専門家からみれば、常識的、
初歩的なことに過ぎないかも知れない。しかし、古代から現代に至るまでの西洋
哲学史の内容を、生きる人間の問題として説明して貰えるということは、一般読
書人として大変有り難いことだと言えよう。本書には、現代の国際政治の問題な
ども背景として語られており、コンピューターなども説明のために用いられてい
る。現代社会の諸条件の中でも、古代以来の哲学は、充分に意味を持つものとし
て、生きているのである。
 それにしても、日本の中学生や高校生が、はたして本書を充分に理解できるか
という疑問は残る。私自身にとっても、それほど平易な内容ではないからである。
この頃の子どもたちは、ファンタジー調、ミステリー調でものごとを考えるのを
好むのであろうか。また本書はアメリカでは、ヨーロッパや日本でほど多くは読
まれていないという事実も、私には興味深い。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌──────────────────────────────────┐
│ 夏目漱石を江戸から読む : 新しい女と古い男                       │
│     小谷野敦著                                                     │
│    (中公新書 1233)                  中央公論社  1995 │
└──────────────────────────────────┘

                                          前田 貞昭 (言語系教育講座)

 私が担当している近代文学の分野では、卒業論文に夏目漱石や志賀直哉を取り
上げる学生がやたらに多い。漱石や志賀だとか言えば(ここで「夏目」とか「直
哉」と書くのは素人で、玄人は「漱石」・「志賀」と書く)、絶対的と言っても
よいほど評価が定まっている。そして、漱石は読んだことがあって面白いとか、
志賀は読むにも経済効率が良さそうだとかの判断が働いているようだ。少ない読
書量を世評という他人様の尺度で代用するという知恵は認める。が、それは、し
ょせん、借り物である。とはいっても、私たちは借り物から自由になれない。他
人の知恵と尺度を借用することによって日々を暮らしている。一々、すべてのこ
とを自分で考えていたら、身が持たない。けれども、学問とか研究とか称するも
のは、そうした人々が借り物とも意識せずに通用させている「常識」を、「本当
にそうだろうか?」と疑うことから始まる。
 漱石は、近代日本を代表する「文豪」だとか言われる。だが、はたして、そう
か。それを疑ってみたのが、この『漱石を江戸から読む』を書いた小谷野さんだ。
確かに、漱石自身厳密には幕末の生まれなのだから、そうそう全部が近代的であ
るわけがない。江戸時代までは近世で、明治からは近代だという。けれども、政
治体制や年号が変われば、そこに生きている人間も突如変わるというわけではな
い。漱石は留学経験も持つ英文学者ではあったが、日本に暮らして日本の文学の
土壌で小説を書いた。小谷野さんが指摘したのは、「新しい漱石」だけに焦点を
合わせると、見落としてしまう、そうした土壌の部分である。
 漱石を江戸から読むということは、逆に、私たちの漱石の読み方を、照らし出
すということでもある。普通、1990年代に生きる私たちは、その1990年
代という時代の視点から漱石を読んでいる。とすると、この『江戸から漱石を読
む』という本は、私たちが、当然と思っている読み方を変えてくれるものである
わけだ。漱石を読んで、どうも奇妙と思われる作中人物たちの行動や心理は、こ
の本で相当程度に説明されている。この本からは、ネクタイを締めた千円札の漱
石とは違う江戸っ子漱石の素顔が見えてくるだろう。

  本館の所蔵 ──────────────── 分類記号   配架場所     
                                               910.268 Ko  文庫・新書コーナー

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┌──────────────────────────────────┐
│ 自然学習の思想                                                     │
│     L.H.ベイリー著 宇佐美寛訳                                │
│     (世界教育学選集 67)                 明治図書  1978 │
└──────────────────────────────────┘

                                      松本 伸示 (自然系教育講座)

 この本は、私が大学生だった頃、理科教育法のなかで出てきた「自然科の祖ベ
イリー」と言う名前がなんとなく気に入って、本屋で見つけた時に買って帰った
ものである。したがって、本は15年以上前のものであるし、原著そのものに至
っては1903年に出版された”The Nature-Study Idea ”である。なぜ、こん
な古い本を今さら・・と諸君は思うかも知れない。しかし、少なくとも当時の私
は、この本を読んで大いに感動したのである。そのころ、科学教育と理科教育の
区別なんか、あるのかも、ないのかも分からなかった私が1つのヒントを得た気
がしたのである。そして、その後、私の理科教育観に少なからぬ影響を与えた本
の1つである。それからもう1つこの本を、諸君に読んでいただきたい理由があ
る。日本の小学校理科は今回の指導要領改訂で、低学年の理科と社会が廃止され
た。それにともなって、新教科の生活科が誕生した。この生活科にベイリーの自
然科の理念が非常に参考になるのではないかと考えるからである。
 それでは、この自然科とは何か? ここで、彼の有名な言葉を借りてその一端
を紹介してみよう。
  「自然科は小学校における形式的な科学教育に対する反乱である。−中略−、
自然科は基本的なものであるが故に一般教育の過程である。形式的な科学教育の
方法は、成人とかある特定の科学を知りたいと思う人々に適用されるものである。
自然科はそれ故、科学ではない、知識でもない、事実でもない。それは、精神で
ある。こころの態度である。世界に対する子どもの見方に関するものである。」
 彼の自然科は子どもを自然に関連させ、自然に共感させる教育と言える。彼は、
子どもの自然に対する認識には詩人のそれに似たようなものがあることを認める。
そして、詩人が事実だけに基づいて自然を理解し解釈するのではなく、想像や感
情をも交えて解釈しても、それを誤ったものと断定できないように、子どもがそ
のような自然認識をしたとしても、一方的に誤ったものとすべきではないと考え
ている。むしろ、そうした子どもの認識の特性や実態を認めたうえで、これを有
効に活用しながら学習を進めていくことを主張するのである。生活科を考えるう
えでも、理科教育を考え直すうえでも一読の価値がある一冊である。
               (「私のすすめる本」2号から改訂、再掲載)

  本館の所蔵 ──────────────── 分類記号   配架場所     
                                               370.8 Se22  2階開架書架

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┌──────────────────────────────────┐
│ 図説夜の中世史                                                     │
│     ジャン・ヴュルドン著 池上俊一訳            原書房  1995 │
└──────────────────────────────────┘

                    松本 ミサヲ  (芸術系教育講座)

 我々は、洗練され、表面的な記録の形で残された過去の文化や事象、あるいは
文学作品を、現代人の生活環境や世界観の枠内でのみ解釈し、その結果、数多く
の「理解不可能」な問題に直面して、戸惑いを感じがちである。このようなとこ
ろから、最近西欧では、特に中世の民衆の日常生活を、彼等が置かれていた環境
の分析を基に、新たに見直そうとする動きがある。
 本書もそのカテゴリーに分類される書物である。三部構成を取っているが、第
一部の「サタンあるいは恐ろしい夜」では、中世人にとっては恐怖の対象であっ
た夜の闇は、悪魔や狼男など、幻想の産物が活躍する場であるばかりか、人間す
らも暴力的行為や性的堕落に陥る危険、つまり「変身」の可能性があった状況が、
様々な資料を引用しながら語られている。第二部「人あるいは手なずけられた夜」
では、当時の社会階層毎に、それぞれ方法は異なったものの、わずかな明かりや
暖炉の火、あるいは篝火などを遣って、いわば闇と共存して生きて行く上での智
恵・工夫が語られている。同時に、特に都市部を中心に、夜間の行動に関する細
かい法的規制を通じて、前述の「変身」の可能性を抑える措置も考えられていた
ことが分かる。最後の、第三部「神あるいは昇華された夜」では逆に、夜はむし
ろ現世的な雑事や煩悩から解放されて、神と向かい合い、あるいは占星術や予知
夢によって、未来の出来事が示される時として規定されている。
 悪魔・人間・神が支配する領域を明確に区別していた中世の人々の世界観が、
従来とは異なった角度から眺められていると共に、最初の「音楽公務員」として、
暁を告げる時報係が取り上げられている点も興味深い。また、照明の発達等によ
って、夜と昼との区別が全く無くなった現代人に、今一度、自然と融和して生き
る意味を教えてくれる書物である。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌──────────────────────────────────┐
│ 発表の技法 : 計画の立て方からパソコン利用法まで                 │
│   諏訪邦夫                                                      │
│     (ブルーバックス B1099)            講談社  1995 │
└──────────────────────────────────┘

                       南埜 猛 (社会系教育講座)

 「授業」。これは一種の「発表」です。小学校、中学校、高校と、これまで皆
さんは主として、「発表」を受ける(あるいは聞く)立場であったと思います。
大学での授業では、テーマを与えられ、それについて調べ、そして「発表」する、
あるいは付属学校での実地教育で教師の立場で授業を行うなど、「発表」をする
機会が増えてきます。「発表を受ける者」から「発表をする者」へ。さらに、大
学を出て教員になれば、それはもう「発表をする者」の毎日が待っています。教
員にならなくても、社会では「発表」する機会は多いことでしょう。
 「発表」とは、「発表する者」が「発表を受ける者」へ情報を伝達することで
あります。「発表」においては、「発表を受ける者」へ、正確に伝えることが望
まれます。さらに正確さだけでなく、楽しさや面白さといった効果も求められま
す。そのためには、いろいろな技術や道具があります。本書では、「発表」の鉄
人が、その技術や道具の使い方について説明してくれています。
 著者が指摘しているように、先天的に発表の上手な人はいません。また本書で
示されたアイデアを、やろうとしてもすぐには出来ないと思います。けれども、
これからの授業での「発表」の1回、1回で、本書で示されたアイデアを1つで
も取りいれて、そのコツを身に付けていけば、「発表」(=「授業」)の鉄人、
達人になるのも、そう難しくはないかと思います。このことは、これから大学で
授業(=発表)をする立場になろうとしている私自身への思いでもあります。

  本館の所蔵 ──────────────── 分類記号   配架場所     
                                                           文庫・新書コーナー

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┌──────────────────────────────────┐
│ ぼくはこんな本を読んできた : 立花式読書論、読書術、書斎術       │
│     立花隆                 文芸春秋社  1995 │
└──────────────────────────────────┘

                      南埜 猛 (社会系教育講座)

 「昨年一年間で何冊の本を読みましたか。」「これまでどのような本を読んで
きましたか。」「読みたい本がありますか。」

 本書は、二つ内容で構成されています。前半では、「エコロジー的思考のすす
め」「田中角栄研究」「脳死体験」「宇宙からの帰還」「サル学の現在」などの
著者である立花隆が、これまでどんな本を読み、そしてそれらの本とどのように
つきあってきたのかが書かかれています。そこで挙げられている本の量や多様さ
には、本当びっくりしてしまいます。私自身、びっくりするとともに、何かショ
ックを感じてしまいました。後半では、1992年8月から1995年10月ま
で、週刊雑誌「文春」誌上で掲載された「私の読書日記」と題する書評の再録で
あります。そこには255冊の新刊書が紹介されています。
 「国語」「算数」「社会」「理科」「音楽」「図工」「体育」と幅広い内容を
教える教師には、幅広い知識と教養がもとめられます。読書は、その知識と教養
を獲得するための有効な手段であります。前半を読みながら、これまでの自分と
本とのつきあいを振り返り、後半を読んで、これから読む本を探してみてはいか
がでしょうか。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌──────────────────────────────────┐
│ 中世イタリアの大学生活                                             │
│     グイド・ザッカニーニ著 児玉善仁訳      平凡社   1990 │
└──────────────────────────────────┘

                     柳原 弘志 (自然系教育講座)

 原題「13,14世紀のボローニャ大学における教師と学生の生活」が示すよ
うに、この本は十二世紀後半に出現したといわれている、世界最古のボローニャ
大学の最も活動的であった時代の、教師と学生の生活を、種々の資料から描き出
したものである。序章に引き続き、第1章から第6章まで、大学の学頭、大学教
師、学生、文法教師、私的教師、大学の職員をそれぞれ取り扱い、最後に第7章
でボローニャ大学の衰退に触れている。
 本書の意図は著者自身が序章で次のように述べている。
 「ボローニャ大学の起源や組織など、要するに法律や規約に基づいた大学の成
り立ちなどについて、これまで言われてきたことを繰り返すつもりはないし、ま
して教会と皇帝とコムーネと大学の関係について、ここで繰り返すつもりもない。」
 「私の意図は、むしろ、かってのボローニャ大学のように重要な高等教育の中
心地において、教師と学生が送っていた生活のイメージをできるだけ完璧に描く
ことである。」
 教師や学生の生活の描写は、具体的かつ詳細に亙り、興味深い読物である。ボ
ローニャ大学と殆ど同時に成立したといわれるパリ大学が、教師中心の現代の大
学に近い組織をもっていたのに対し、初期のボローニャ大学は学生の組織であっ
て、教師はその組織に雇用されていたに過ぎなかったということを考慮しても、
当時のボローニャ大学の学生達が、何と自由奔放に学生生活を享受していたこと
か。また、そこには「永遠の真理」である学生は勉強嫌い、教師は怠け者という
兆候が早くも適確に描かれている。
 原著は1926年に出版されたものであるが、現在我国で大学を含めた教育制
度が見直されようとしているとき、時宜にかなった翻訳と思われる。何のため学
ぶのか、本書を通してもう一度考えて欲しいものである。
                  (「私がすすめる本」4号から再掲載)

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号     配架場所      
                                             377.28 Za    2階開架図書

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┌──────────────────────────────────┐
│ 何もなくて豊かな島                                                 │
│     崎山克彦著                             新潮社  1995 │
└──────────────────────────────────┘

                                 山岡 俊比古 (言語系教育講座)

 外国資本の日本の出版会社の社長を務め、多忙を極めていた著者が、ある日突
然会社を辞め、フィリピンの小島を買い取り、そこで新しい生活を始める。その
島に既に住んでいる350人の人々は、用便は海岸で済まし、食事時になると、
潮の引いた海に出て、小魚や貝を拾って来るという生活をしている。著者を含め
たこの島の住民たちは、一体、幸せなのだろうか。この本は、人間の幸福を考え
る際に、根元的な視点を提供してくれそうな気がする。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌──────────────────────────────────┐
│ 釣りとイギリス人                                                   │
│     飯田操著                  平凡社    1995 │
└──────────────────────────────────┘

                                 山岡 俊比古 (言語系教育講座)

 川釣りが好きで、イギリスに愛着を感じている人に推薦できる本である。イギ
リスにおける釣りの変化と発展を歴史的にたどる本書は、イギリス人の釣りに対
する考え方のみならず、イギリス文化の神髄を示してくれる。ただし、チャール
ズ・ラム、ジョージ・バイロン、アイザック・ウオルトンなどのイギリス文化史
における有名人の名を知らない人は、読んでも無駄だ。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌─────────────────────────────────┐  
│ 秘儀としての和歌                                                │  
│     渡部泰明編                             有精堂  1995 │  
└─────────────────────────────────┘  

                    山口 眞琴 (言語系教育講座)

 最近、「日本文学を読みかえる」というシリーズの一冊として刊行されたこの
本、じつは古典和歌に関する近年のすぐれた研究論文を集めた書物ゆえ、専門的
でやや取っつきにくいかもしれない。しかし、『古事記』スサノヲの「八雲立つ
出雲八重垣…」を起源とする和歌(やまとウタ)が、なぜ現在まで滅びずに生き
続けてあるのか、ウタと日常の言葉とはなにがどう違うのか、ウタを歌うという
行為はどうしてヨムと呼ばれるのか等々、それじたい言葉の本質的な問題にかか
わる素朴な疑問に対し、かなり確かな手がかりを与えてくれる本である。その一
方で、和歌に関する古代中世の学問研究(いわゆる歌学)の場において、ウタを
ウタとして保証したり、ウタの表現をめぐる根拠や背景を説明する言説(いわゆ
る本説)として、様々の物語や説話が呼びよせられ、時にねつ造されてもいた情
況が知られる。象徴的に特権化されたウタと、雑駁なモノガタリとが根底でつな
がっていた秘儀の世界は、おそらく我々の和歌観・文芸観を大きく揺さぶること
だろう。
 なお、中世の歌学秘伝の実態について、さらに詳しく知りたいむきには、三輪
正胤『歌学秘伝の研究』(風間書房、1994年《本館所蔵》)をおすすめする。
また、歌論・歌学に関する一般的でかつ有益な書物としては、藤平春男『歌論の
研究』(ぺりかん社、1988年)、尼ヶ崎彬の『花鳥の使 歌の道の詩学1』
(勁草書房、1983年)『縁の美学 歌の道の詩学2』(勁草書房、1995
年)などがある(あとの三書はいずれも廉価なので、できれば買って読んでほし
い)。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌─────────────────────────────────┐  
│ 黄禍物語                                                         │  
│     橋川文三著                  筑摩書房  1976 │  
└─────────────────────────────────┘  

                     山崎 弘行 (言語系教育講座)

  書評というと最近では新刊書の紹介ということに相場が決まっているようだ。
しかし、話題の書といえどもまたたく間に忘却の屑篭にほうりこまれてしまう大
量出版の現代にあっては、忘れられてはいるが依然として今日的な意義をもつか
つての話題の書を紹介することも書評の任務の一つであろう。ここで取り上げた
いのも、一部の専門家は別として、一般の読者から忘れられているかつての話題
の書である。
 本書の主題である黄禍とは、黄色人種が世界に禍いをもたらすであろうという
「思想」である(電車のトイレットの黄禍ではない)。欧米の言葉では、Yellow 
Peril, Yellow Danger, Yellow Terror, Gelbe Gefahr, Peril Jauneなどといろ
いろに表現されている。明治以来わが国ではこれを「黄禍」「黄患」と正直に訳
して用いている。いずれにせよ、この言葉は、白色人種の黄色人種にたいする恐
怖、嫌悪、不信、蔑視の感情を表現した、人種的偏見、人種的差別に由来するも
のであることは言うまでもないであろう。その意味では、黒人やユダヤ人差別と
同根であるはずだが、著者はこれらと性格を異にする黄禍の特殊性について次の
ように述べている。
 「黄禍の場合は、おそらくその背景にある歴史と、黄色人口が地球人口の中に
占める比率の圧倒的高さとのために、同じ人種差別の観念の中でも、とくにきわ
だった形姿をとっているということは出来るかもしれない。つまり、人類社会に
伝承、形成されてきた様々な人間差別の心理的複合体のうち、もっとも長い歴史
をかけて作り出された膨大な<神話>が黄禍論であると言えそうである。」 
  本書の狙いは、紀元前13世紀から現代にいたるまで連綿と続いている<神話>
としての黄禍論の歴史を概観することにある。作者は第一章の「黄禍論前史」で、
有史以来のアジアとヨーロッパの抗争の歴史を黄禍の歴史とみなし、その年表を
作成している。そのあらましは次の通りである。 1) フェニキア人の西侵(紀
元前13世紀頃) 2) ペルシャ戦争(紀元前5世紀) 3) ポエニ戦争(紀元
前3−2世紀) 4) フン族のヨーロッパ侵入(4−5世紀) 5) サラセンの
ヨーロッパ侵攻(8世紀) 6) トルコの脅威(11世紀) 7) 蒙古の大侵攻
(13世紀) 8) オスマントルコの脅威(14−15世紀)。
 近代の黄禍論は、このような東西対立の歴史の記憶の上に築かれた西洋人の悪
夢的幻影なのである。このような黄禍論前史をふまえて、著者は残りの各章で近
代以降の日本と中国をめぐる黄禍論の実例を、資料を引用しながら紹介検討して
いる。現在では入手しがたいこれらの資料に現れた生々しい黄禍論を読む者は、
読後、体内に血の騒ぐのを覚えること必定である。とはいえ、我々読者の体質的
な反欧米感情を煽ることが作者の目的ではない。むしろ、この抜き難い感情の存
在を自覚することによりこれを相対化し、制御するすべを学ぶことこそを戦中派
の著者は期待しているのである。ベルリンの壁が消滅し、戦後久しく続いてきた
東西の緊張が緩和した。しかし、それとは裏腹に戦前まで存在していた旧来の東
西緊張の復活が懸念され始めている昨今である。「新たなる黄禍論のゆりかえし」
という題の付いた最終章は、その意味で極めて注目に値する。歴史に学ぶことの
重要性を示唆する本書の一読をお勧めする次第である。
                  (「私のすすめる本」3号から再掲載)

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                             316.82 Ha

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┌─────────────────────────────────┐  
│ 想い出のエドワード・トマス : 最後の4年間                     │  
│     エリナー・ファージョン著 早川敦子訳      白水社  1993 │  
└─────────────────────────────────┘  

                        横山 悦子 (教務課)

 「1912年の暮れもおし迫ったある日のこと、弟のバーティが私にいった。
『エドワード・トマスが明日こちらにやってくる。ゴドウィンと僕をお茶に誘っ
てくれたんだ。姉さんとロザリンドも一緒にどうぞということだよ』」
 トラファルガー広場で会ったエドワード・トマスは「すんなりと伸びた立ち姿、
黄褐色の膚、落ち着いてよく響く声、そしてバーティが私たちを紹介したときに
ちらりと見せた鋭い視線、これが私の心に残った最初の印象だった。」
 冒頭で、エリナー・ファージョンはその生涯にわたり深い影響を受けることに
なる詩人をそう記している。わが国においては、エドワード・トマスよりも、エ
リナー・ファージョンの方がよく知られている。このイギリスの女性は、童話作
家として有名であり、『ムギと王さま』『りんご畑のマーティン・ピピン』など
多数の作品を生み出し、それらは邦訳されていて、ファンタスティックな物語は
こどもは勿論のことおとなにも親しまれている。
 本書は、エリナー・ファージョンが32歳でエドワード・トマスと出会い、1
917年第1次世界大戦の終結を目前にして、エドワード・トマスがフランスで
戦死するまでの4年間にエドワードから送られてきた手紙に、その時の状況とか
心の動きを補足する形で回想した書簡集である。詩や日常のこまごまとした事柄
のほかに、彼らの友人たちも語られている。私がその作品を読んだり、又は名前
だけを知っている小説家や詩人が出てくるのは興味深い。例えば、アーサー・ラ
ンサム、ジョセフ・コンラッド、D.H.ロレンス(ファージョンはロレンスの
『虹』の一部をタイプ清書している)、そしてアメリカの詩人、ロバート・フロ
ストなど。
 ファージョンは77歳で『想い出のエドワード・トマス』を出版した。彼を回
想することによって、ファージョンは真の愛と自身の人生を完結させたのかもし
れない。とはいえ、これらのおびただしい数の手紙は80数年を経た現在でも、
2人のみずみずしい感性を鮮やかに伝えてくれる。若い人たちが、こういう形の
愛もあるということを知ってくださればうれしい。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌─────────────────────────────────┐  
│ 応用倫理学のすすめ                                               │  
│     加藤尚武著                  丸善  1994 │  
└─────────────────────────────────┘  

                 渡邉 正樹 (生活・健康系教育講座)

 我々は普通「倫理」ということを日常的に意識して生活しているわけではない。
なにかしらの問題に出くわして、そして白黒の判断をつけなければならない時、
初めて「倫理」を持ち出している。しかし著者も触れているように、どうも日本
人は「倫理」を振りかざして議論することや、「倫理」を振りかざすこと自体が
苦手なように思われる(あるいは避けている)。しかし我々が倫理的判断を求め
られる機会は増えこそすれ、減ることはない。
 本書で取り上げられている話題は「安楽死」「エイズ」「セクハラ」「製造物
責任」など、まさにカレントトピックスと言えるものであり、我々が日常的に接
している話題である。本書は平成6年に出版されているが、現在だったら「いじ
め」「体罰」そして「宗教と犯罪」もきっと俎上に載せられているに違いない。
本書のキーワードは「他者危害の原則」「自己決定権」等であるが、これらは功
利主義に基づく現在もっとも普遍的な倫理観と言えるだろう。もちろん J.S.ミル
の時代から大きく様変わりした現在では、当時の功利主義がそのまま通用すると
は思えないが、倫理観の拠り所として功利主義的な倫理観を設定することよって、
万人に共通する人間として最低限のルールを示すことが可能となる。先ほどの
「いじめ」の問題にしても、「いじめの被害者側にも問題がある」という意見が
たまに出てくるが、本来ならどんな形であれ「いじめ」は許されないはずであり、
「いじめの被害者側にも問題がある」とは絶対に言えないはずである。我々は常
に真摯な態度で「倫理」を学ぶ必要がある。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
                            (発注中)

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┌─────────────────────────────────┐  
│ ヘーゲル・大人のなりかた                                        │  
│   西  研著                                                     │  
│   (NHKブックス 725)     日本放送出版協会  1995 │  
│ 事件の中の子どもたち : 「いじめ」を中心に                     │  
│   浜田寿美男・野田正人著                                       │  
│   (子どもと教育)           岩波書店      1995 │  
└─────────────────────────────────┘  

                                         渡邉 満 (生徒指導講座)

  毎年、家と車のローンの重圧の中で、わが家の大蔵大臣の顔色をうかがいなが
ら大金を支払って沢山の本を買って読む。あらかじめ書店でページをペラペラめ
くって内容の見当をつけて買い求めるのであるが、裏切られることが多い。そん
な中で昨年は読みごたえのある2冊の本に出会った。教育や教育に関わる哲学の
本でそんな本にはめったに出会わない。しかも、どういうわけか2冊とも100
冊近く買った本の中で(高額なのは二万以上のもある)もっとも安い値段の本
(950円と1500円)に属している。中身は値段と比例しないということな
のだろうか。ともあれ、それは我々貧乏人には悪くない。諸君にもぜひ買って読
んでもらいたい。僕と同じような幻滅を味わってもう本を買いたくないというル
サンチマン(恨み)体験を持つ人は、図書館にあるものを読めばいい。
  もちろん、今これらの本をすすめるのは、安いからなのではない。教育を真摯
に考えている学生さんや院生さんに、「目から鱗」体験を確実にさせてくれると
思うからである。教育の絶望的な状況に途方に暮れている僕にも、「元気を出し
て!もう一度今考えていることに自信を持ってこの困難状況に挑みなさい。」と
訴えてくれているように思える本なのである。
  最初の本は、簡単に言えば、ヘーゲル哲学入門である。でもそれだけで「ノー
もう結構。」という人が多いに違いない。でも、「ちょっと待て!」これは30
代の若い哲学徒が易しく書いた入門書なのである。大所高所に立たないで、自分
の生き方を模索しながらヘーゲルに取り組んでいる。だから、大家には大所高所
から見るといろいろ言いたいこともあるに違いない。しかし、この人はヘーゲル
に身を借りてお説教なんかしない。むしろ同じ若い世代の人達に「ネエ、そうで
しょう。」と訴えているのである。しかも、ポスト・モダン一色の社会的現実や
アカデミズムに対して、「大人になる筋道」を哲学の体系として描いたヘーゲル
を対峙させる。「教育はどうあるべきか」−例えばこういう問いを、ポスト・モ
ダニズムは考えることができないはず。なぜなら、こういう問いは「ルール」や
「共同体」(人間の共同性)を必ず想定しなければならないから。しかし、かの
ポスト・モダニズムは当の「ルール」や「共同体」を否定する。諸悪の根源とみ
なすのである。これは非現実的だ。子どもが大人になるのは、個(自分)に即し
てなのではない。他者との共同性の中で自分がより具体的(現実的)となり、様
々な他者との共同性の中で大人になれるのである。このヘーゲル入門は我々が忘
れているそのようなあたり前のことを思い起こさせてくれるのである。
  二冊目もそうだ。「いじめ」は、豊かさの中で他者との「悲しみの共有体験」
を持たず、本当は誰にも帰せられない「悲しみ」の原因を他者に求め、そのルサ
ンチマンを弱い他者にしかぶつけられないという現代の子どもたちを取り巻く状
況が生み出したもの。心理学者の面目新たというところか。テストの成績アップ
だけを追い求め、「生きるかたち」を探るという本来の「学ぶ意味」を喪失した
学校の中で、他者を傷つけ排除するという共同行為による「相手の生きるかたち
が見えない」狭隘な貧しい価値観の共有化、まさに歪んだ、「大人になること」
とは無縁な幼稚な共同性こそ「いじめ」の正体なのである。それでもなお人々は
そしてポスト・モダン論者たちは、今やルサンチマンの吹きだまりとなってしま
っている抽象的な「個」や「個性」が解決の切り札だというのだろうか。それら
が実は原因なのに。今必要なのは共同性の質の発展なのだ。共同性の中での具体
的な(現実的な)「個」の発展なのではなかろうか。
  こんなことを考えさせてくれる本に出くわすのは、やはり2%の確率でしかな
いのであろうか。

   本館の所蔵   ────────────── 分類記号    配架場所       
ヘーゲル・大人のなりかた                  134.4 Ni   1階開架書架
事件の中の子供たち                (発注中)

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                あ と が き               

 この小冊子「私のすすめる本」は、学部および大学院の学生、特に新入生を対
象として、本学教職員から身近な良書の推薦をいただいたものです。推薦された
図書は文芸作品や随筆から専門分野の入門書まで幅広くわたっています。
 この企画に対する教職員各位の御協力に感謝するとともに、この小冊子が読書
への道しるべとなることを期待するものです。
 なお、利用の便を考慮し、本学図書館での所蔵データ(分類記号、配架場所)
を末尾に挙げてあります。
  本書第8号からは、WWW(World Wide Web)でも公開しております。附属図
書館のホームページ(http://www.lib.hyogo-u.ac.jp/)もご覧になってください。
 最後になりましたが、お忙しいなか、執筆いただきました皆様に深く感謝いた
します。
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│  [本館の所蔵]                         分類記号     配架場所   │
│                      131.3  Pl  1階開架書架   │
│   プラトン全集 11          131.3  P71           │
│      ↑                              │
│    (標題の図書はこの叢書に含まれている)                │
└──────────────────────────────────┘
  * 発注中の図書は、蔵書検索システムで所蔵を確認して下さい。
      また、研究室貸出の図書も配架場所が変更されている場合がありますので、
      蔵書検索システムで確認してください。
┌──────────────────────────────────┐
│       「私のすすめる本」 Vol.9 1996年版                  │
│        1996年 3月 発行                          │
│            編集発行 兵庫教育大学附属図書館        │
│                  代表者 館長                  │
│            〒 673-14 兵庫県加東郡社町下久米942-1     │
│               TEL 0795(44)2061                   │
│                            FAX  0795(44)2059                       │
└──────────────────────────────────┘
                         表紙 :藤原克彦(附属図書館)

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